【はじめに】

【はじめに】

オリンピックをも凌ぐとも言われる世界最大のスポーツの祭典サッカーワールドカップ。そんな世界的超大型イベントが今からちょうど20年前に日本で開催された。

日本中が熱狂の渦に巻き込まれる中、自分の住んでいた札幌も例に漏れず盛り上がりを見せる。

中心部である大通りやススキノには外国人のファンで溢れ、狸小路のドンキーではイングランドサポーターらしき白人女性がアラジンエースでドル箱を重ねていた。

札幌ドームで行われたイングランドvsアルゼンチン戦。前回のフランスワールドカップで予選敗退の戦犯と言われたベッカムがPKを決めてイングランドを勝利に導く。この試合が札幌で行われている。その事実は大学2年生の自分にとってこれ以上ない喜びだった。

トルシエジャパンも快進撃を続け、日本はまさにサッカー一色という1ヶ月。そして、日韓ワールドカップはロナウド擁するブラジルの優勝で幕を閉じた。


そのワールドカップの翌年である2003年にパチスロ史に残るモンスターマシン「パチスロ北斗の拳(サミー)」がホールに導入された。下馬評こそあまり高くなかったが、徐々に稼働が上がっていき最終的には60万台以上が設置されるという桁外れの大ヒットとなる。

ホールには北斗の拳、吉宗、銭形など現在にも系譜が紡がれる数多くの機種が並んでいた。大学3年の時点で単位も取り切って、大学4年はパチスロ三昧。どっぷり浸かる理由は十分に揃っていた。
全てをパチスロに捧げる。言ってしまえば当時数え切れないほどいたありがちな大学生の一人である。自分は紛れもない量産型の4号機北斗世代、その生き残り。

いくつか職につく機会もあったが、好きが高じて30を超えて雑誌の旅打ち企画に応募していまに至る。ライターという肩書こそあるが、何かを書き、残したかと問われると返答に窮する。虚業ここに極まれり。

ただ、ありがたいことにライターの肩書のお陰で飲みの誘いをいただくことは増えた。そして、そこで気付く、パチンコ・パチスロ業界は何かと年齢の近い4号機オジサンが多いのだ。

量産型北斗世代の生き残り、けっこう多いんだよな。4号機でパチスロにハマったまま抜け出せずに20年後もホールで設定6を追いかけている。気付けば後に引けなくなったオジサンたち。愛すべき同志である。

そして、ここでブログを書くことになったのも、同世代からの誘いであった。


4号機最盛期にパチスロを始め、
5号機を頭から完走し、
6号機になっても変わらず毎日のようにパチスロを打っている。

そんなわたくし角屋角成(かどやすみなり)が近況や思ったことなどを綴っていきたいと思います。
普段はパチスロ攻略マガジンに寄稿しているので、気になる方はそちらも覗いてみてください。

それでは自己紹介?も済んだところで、、パチ屋でも行くか。

 

角屋角成 ()

https://twitter.com/lovebeerkanpai


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