ニコラシカの憂鬱

ニコラシカの憂鬱

サンタクロースをいつまで信じていたかなんてことはたわいもない世間話にもならないくらいのどうでもいいような話だが、それでも私がいつまでサンタなどという想像上の赤服じーさんを信じていたかと言うとこれは確信を持って言えるが最初から信じてなどいなかった。
 
それでもこの時期になると、12月独特の高揚感は台東区をきちんと包み、ここ最近はめっきりすっきりもはっきりもしなくなった思考をゆらゆらと乱し、泡立ちながらグラスを満たす。うん、私は今日も間違いなく酔っている。


苛立つような街並みに立ってたって感情さえもリアルに持てないなんてことはなく、左へカーブを曲がると光る海は見えてこないし、もう恋なんてしないなんて多分言わないし、冷めた面して歩きながらくだらねえとは呟かないし、同じセリフ同じ時思わず口にするような感じは今のところない。

ただ思うことは、今年は毎日が檸檬の上の粉砂糖みたいで、それをその日その日のブランデーで流し込んで日々を完成させたいはずがブランデーがない日が多くて、檸檬と粉砂糖だけでも満足すればいいものの、ブランデーがあると素晴らしいと譲れずにないものねだりを繰り返しているようだった。

先日、肩ロースとバラとロースの3択ならどうするかと質問されて、クリスマスには興味ないんだよ、などと返してしまった恥ずかしい自分。
大江戸線での帰りがけ、横の人のイヤホンから漏れ聞こえるチキンライスという曲、懐かしさから歌詞を検索して、
「チキンライスでいいや」と「チキンライスがいいや」
と上手い歌詞に感嘆しつつ、そんな違いを楽しめるくらいの生き方を、ミスばかりの恥ずかしい自分は、強く決意して2年目を始める。

つるぴー@人生REPLAY中

@tsuru_1982


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